中世に入り封建制による土地所有になると、農民が自由にビール造りができなくなり、納められた農産物を使って領主や当時普及したキリスト教の修道院を中心にビールが造られるようになりました。
12世紀頃になると農業生産力の増大にともない余剰農産物が生まれ、取引を行う市を中心に人が集まり都市が形成され、自治権を獲得した都市から市民によるビール造りが行われるようになり、やがて専門化が強まり、ビール専門の醸造業が誕生すると、後に試験に合格したブラウマイスターにより高品質のビールが造られるようになりました。
ビール醸造を奉仕活動の一環として続けていた修道院のビールは、ベネディクト派の修道士を中心に麦作りの農耕から醸造まで一貫して行い、熱心な品質向上の努力によりビールの売れ行きが上がりましたが、押され気味になった醸造業者との対立が深まり、修道院ビールの販売禁止令が出るなどして修道院のビールは衰退しました。
1516年にバイエルンの君主ウィルヘルム四世により、「ビールは大麦、ホップ、水以外のものを使って醸造してはならない」という有名な「ビール純粋令」が定められると、バイエルンのビールの評価が高まり、ホップを使ったビールが主流になって行きました。
イギリスでも古くからエールと呼ばれるビールが愛飲され、醸造所の隣にエール・ハウスと言う居酒屋が置かれましたが、ドイツからホップ入りのビールが輸入されると、従来のビールをエール、ホップの入ったものをビールとして区別し、エールを保護しましたが、やがてイギリスでもホップが栽培されるようになり、ホップの強いペール・エールも生まれました。
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